2月14日:創業者の中村和郎が逝去しました

2017年2月14日 火曜日の11時52分、中村工業の創業者、中村和郎が逝去しました。享年74歳でした。

父は鹿児島県の加世田市、現在の南さつま市で生まれ育ち、中学を卒業して15歳で就職列車に乗って、おじの中村繁を頼って大阪へ来ました。
鹿児島では貧しくて、毎日のようにサツマイモの食事だったのが、大阪に来て初めてエビフライを食べさせてもらい、「こんなに美味しい食べものがあるのか!」とビックリしたそうです。
美味しい食事と大阪のネオンが仕事の励みになったと思います。

いろんな仕事を転々としたのちに原鋼業という会社でワイヤロープ加工の仕事に出会い、最後に倒れるまでずっとワイヤロープ一筋の人生でした。

これまでの人生を「中村工業50年史」という冊子にまとめて制作しましたが、大変喜んでくれ、いい親孝行が出来ました。

この本の中のエピソードを一つ紹介します。

『ワイヤロープに6×24 12ミリ 200メートルのコイル巻があるんですが、重量は約100kgあります。
今のようにクレーンやフォークリフトがない時代、工場に到着した一丸のワイヤロープをかついで運ぶのは見習い工の仕事でした。
最初のうちは持ち上げることさえ出来ませんでしたが、「これができなければロープ加工職人にはなれない」という強い決意のもと、歯を食いしばって約100kgの重量になれていったそうです。』

このような仕事を15、16歳でやってきたわけです。

私が幼いときは土曜日は休みではなかったので、忙しいときは日曜日も仕事をしていました。
遅くまで仕事をして、さらに付き合いでお酒や麻雀、ゴルフもありますので、家で一緒にご飯を食べるのは週に数回だったように記憶しています。

小学校を卒業するまでは大阪市大正区の長屋で過ごしましたが、兄弟げんかをしてはよくオヤジにどつかれました。
「オールウェイズ 三丁目の夕日」という戦後の日本を映した映画がありましたが、まさにあのような風景がそこにはありました。
大正区で過ごした時期が、私たち家族にとって一番楽しかった時期だったかもしれません。

親父の背中を見て育ったので、私にとって仕事といえば「ワイヤロープ」しか考えられませんでした。
親父のすすめで東京製綱で働かせてもらい、たくさんの人にお世話になってきましたが、これも全て親父のおかげです。
私と弟が一緒に仕事をしていることが一番の親孝行になったと思います。

親父は最後まで西宮の家から母と一緒に会社に通い、遠くから現場で働いてくれている社員を見ているのが親父の楽しみでしたが、2年ほど前にはそれも出来なくなってしまいました。
最後に神戸の新工場を見せてあげられなかったことが悔やまれますが、新工場を建てたことはすごく喜んでくれました。

中村工業には親父と一緒に汗を流した社員、DNAを受け継いだ社員がたくさんいます。これからはその社員がと一緒になって会社を盛り上げていきますので、天国から見守ってください。

親父と一緒に現場でロープ加工の仕事をしたこと、仕事帰りに酒を飲んだこと、今となっては本当にいい思い出です。
ワイヤロープの仕事と出会い、たくさんの仲間に恵まれ、会社も少しずつ成長してきました。
母と出会い、子供、孫の誕生と、幸せな一生だったと思います。

最後の最後まで感謝の気持ちを伝えることが出来ませんでしたが、ここで伝えたいと思います。
親父、今まで家族のために仕事を頑張ってくれてありがとう。
天国で大好きな祖母のミサヲと幸せに過ごしてください。

中村哲也

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